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2020.05.03大磯base改め二宮house

二宮に所在しながら、引っ越ししてこの10年間【大磯base】と言い張ってきた、、、何故なら明治維新の社会の大転換期に政治、文化、経済を牽引する知性が集まり暮らしていたからです。

 

この度、東京の家を引き払い二宮に軸足を乗せたのを機に、、、二宮の地元の友人達や町長達にも、なんで?何故に?などのに対応すべく今日をもって改名させて頂きます(どうでもいい話しですがが笑)

 

激動の明治維新から軍国主義を経て敗戦〜サンフランシスコ講和条約などの日本の歴史を郊外では一番身近に寄り添った町、大磯町!

一方、二宮町は今でさえ人口は2万そこそこですが、高度成長時はこのほんの小さな町に団地(県営、公団)がいっぱいあって日本の経済成長と共にあった町だったのがよくわかる。

 

そんな近代史の中でこの「二宮house」の出立は、世界の経済成長を背景に発展したデザイン「ミットセンチュリーデザイン」を取り込もうと有名建築事務所にいた若手建築家とクラシックな日本建築を施工して生計を立てていた施主(工務店社長)とのデザインと施工のせめぎ合いが随所に観て取れる。

 

 

大磯の吉田邸や睦邸などの由緒ある日本建築では無いけれど、、日本人の歴史や生活を大事にしながら未来の暮らしに憧れて創った住宅は全くもってデザイン的には中途半端で突っ込みどころ満載ですが、、、

 

「with corona」
これまで積み上げてきた「モノ」や「知恵」がどんどん役に立たなくなってきている今の状態をみてもよくわかる、、、、

「after corona」
だけど積み上げてきたからこそ、比較が出来ると思います。オンラインミーティングでいろんな事が前に進む事の発見や、、リアルの出会いや刺激がどれだけ新しい自分を創造できるか、、、

今まさに2つの時代の価値観の衝突の気配を呈しています(昭和世代の僕だけかもw)

すいません!
話しが家のネーミングから coronaに移った所で「二宮house」アーカイブとして写真を投稿します(iPhone11のカメラは凄すぎるw)

都市計画家・商業ディベロッパー

入川ひでと